大阪造幣局「桜の通り抜け」発案者=遠藤謹助は明治の元勲<長州ファイブ>のひとりだった


■長州ファイブ(長州五傑)記念写真
後列左:遠藤謹助/後列右:伊藤博文/中央:井上勝/前列左:井上馨/前列右:山尾庸三

昨日見物に行った大阪造幣局桜の通り抜け」の実施を指示したのは誰か。明治政府の高官であろうと推察していたが、気になったのでWEBを利用して調べてみると、なかなか興味深いキャリアの人物であることが分かりました。
桜の通り抜け」は1883年(明治16年)に大阪造幣局で始まっています。局内の見事な桜並木を職員だけで独占するのはもったいないので、一般市民にも開放しようと提案し実行したのは、当時の造幣局長・遠藤謹助(勤助と表示している例もある)という人物=1836年(天保7年)〜1893年明治26年)。
一般的な知名度は低いが、造幣の父といわれる人物らしい。さらに詳しく調べてみると、幕末の攘夷運動のさなか、横浜港からイギリスに向けて密航した5人の長州藩士若者のひとり。
ちなみに、その5人とは井上聞多井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉(井上勝)。後にそれぞれ出世して長州五傑といわれています。
イギリスでは彼らを「長州ファイブ Choshu Five」として賞賛しているようです。長州藩が公式には攘夷を唱えて海外諸国と戦う一方で、藩内の別勢力が密かに派遣した「留学生」のようでもあるようです。彼らの師匠、吉田松陰も同じ行為を試みましたが、発見されて下獄しています。
調べてみるまでまったく知らなかったのですが、彼らをモデルにした「長州ファイブ」という映画が昨年クランクインし今年春に撮影が完了したようで、映画の公式サイトも公開されています。主演は松田竜平、日英合作の意欲作のようですから、やがて話題を集めることでしょう。
ちなみに、明治維新を前に亡くなった悲劇のヒーロー坂本龍馬に関しても活動の資金源等について新たな歴史的解釈がなされているようです。19世紀後半=日本の幕末時代には、イギリスとフランスが、世界各国で帝国主義的覇権を争い暗躍したことは周知の史実です。敵の敵は味方という論理から、革命勢力を外国政府が支援するというのは現代でもよくある話。ロシア革命に際して、ドイツ政府が封印列車を仕立てて亡命中のレーニンを帰国させたことも有名です。イギリスが龍馬に資金援助をしたからといって何の不思議もなく、龍馬としてもその意図を十分承知した上で資金を遠慮なく活用したのでしょう。

■映画「長州ファイブ」公式サイト
http://www.chosyu-five.com/


明治維新で活躍した政治家に関する話題としては、私の以前の日記「蒼海:副島種臣の書」で、元・佐賀藩士の明治の元勲、副島種臣の書の素晴らしい芸術性について触れました。
http://d.hatena.ne.jp/popoya/20060101

同じく明治の元勲、薩摩藩出身の大久保利通は、維新を共に戦った同志ともいえる西郷隆盛を「西南の役」で鎮圧したことで悪役のイメージがありますが、冷酷なマキャベリストと思われるこの人物にも、大阪府の名勝・浜寺公園の松林が伐採されようとしたときに、優れた歴史的景観を守るべきだと伐採工事を停止させたエピソードがあります。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/plaza_hoso/hamadera/hamadera%20park2.html

上記のようなエピソードは、殺伐とした政治の世界の裏表を知り尽くしているはずのリアリスト=明治の元勲たちが、20代の若者であった「維新の志士」時代の熱いロマンチシズム=経世済民の志を心の奥に持ち続けていたことを物語っています。リーダーにふさわしい深い教養と優れた見識、モラルの高さに心から敬意を表したいと思います。

<遠藤謹助(勤助)に関するリンク集>
■酔芙蓉
http://www.water.sannet.ne.jp/kazuya-ai/13-1/suihuyou-index5.html
■イギリスに密留学した長州藩の若者達
http://www13.ocn.ne.jp/~dawn/choshufive1.htm
■幕末日誌
http://bakumatu.727.net/kyou/6/062763-ito-yokohama.htm
■青空と夏みかん:長州ファイブ
http://hibiki0213.exblog.jp/i19
■私達の郷土、山口・萩
http://www15.ocn.ne.jp/~heh/kokoro.html