腐っても鯛、Oldメディア・新聞の光と影

昨日4月14日の朝日新聞に「いま、新聞に期待すること」という日本新聞協会のシンポジウム記録がダイジェスト掲載されている。広告ビジネスにおいてネットに凌駕されてしまったラジオや追いつかれそうな雑誌広告に次いで、明日は我が身という新聞業界の危機感の現れである。パネラーから、さまざまな意見が表明されているが、作家・平野啓一郎氏とGoogle日本法人社長・村上憲郎氏の次のようなコメントが印象深い。

作家・平野啓一郎
(今後の課題は)新聞が紙であることにこだわるかどうかということだろう。新聞のインタビューを受けることが多いが、どんなに話しても記事になるのはほんの一部だ。収まりきらない部分を、スペースにゆとりがあるネットで見てもらう二段構えが最近増えている。これはネットと新聞の相互補完のありようだ。

ページ数に制約のある印刷物という新聞に対して、ネットは「ページ数」においては「無限大」に等しい。玉石混交のCGMと異なり、記事の内容において一定水準以上のクオリティを有する(はずの)新聞社サイトの優位性を活かす方向としては当然の指摘である。
同じような意見を私自身も新聞社広告局のスタッフに話したことがある。広告局スタッフによれば、社内でも論議されている課題のようだが、編集部門の抵抗が強いとのこと。膨大な取材データをギリギリまで削ぎ落として記事に凝縮するのがプロの仕事。取材から記事にする過程でボツにしたコンテンツを再利用しようとするのは「みっともない」という編集者独自の美意識による反感も根強いようだ。
もっと本質的な部分では、無料コンテンツ&広告収入というネットの一般的なビジネスモデルに対して、新聞は購読料=有料コンテンツ&広告収入というダブルポケットのビジネスモデルである。ネットに記事を公開することによって、購読料という有料コンテンツの基盤が揺らぐという危機感も強いだろう。

Google日本法人社長・村上憲郎
ネットはまさに生まれたばかりで、未熟な言説が流通する傾向にあるのは否定できない。それでも、利用者の読解力はついてきていると思う。新聞の質の水準が保たれることによって、逆にネットの役割や立ち位置もはっきりしてくる。クロスメディアという点では、日本は環境が整っているのに活用しきれていない印象だ。

WEB2.0を代表するIT企業の日本法人トップにしては「謙虚」なコメントである。
ネット時代の広告理論AISASモデルにおいて、ふたつのS:Search・Shearはネットの得意分野。ふたつのAのうち後者のA:Actionも人材募集や株式・旅行・音楽・EC分野等ではネットの躍進が著しいが、最初のA:AtentionとI:Interestにおいては従来型マスメディアの存在感は大きい。宅配ネットワークという「環境が整っている」日本では、テレビと同様に新聞もクロスメディアの核となるはずだ。
弊社で実施した最近のキャンペーン事例でも、ネットからの資料請求者の認知経路を精査分析したところ、入り口メディアは新聞広告が圧倒的多数を占め、効果が実証されている。
腐っても鯛とはいえ、光には影も付きもの。時間軸でみる場合だけではなく、利用者の年齢構成からみても新聞がOldメディアになってしまったことも明白だ。若者のテレビ離れ・新聞離れは業界の「不都合な真実」であるが、テレビ・新聞だけではなく、系列WEBサイトのユーザー構成にも「老化現象」が著しい。
例えば、asahi.comのユーザープロフィール
http://www.asahi.com/advertising/dokusha2006.html
利用者の年齢構成をみると、30歳代24.5%、40歳代29.5%、50歳代17.5%、60歳代以上9.3%。30代後半〜50代前半が中心のWEBサイトなのだ。
24才以下が約半数を占めるmixiなどと比較すると「老化現象」は否めない。
asahi.comの場合、本年4月に大幅リニューアルを実施。トップページのデザインを時間帯や曜日によって変更したり、ユーザーからの動画投稿を受け付けるなどの改革を行っているが、趨勢を逆転するのは困難だろう。
雇用状況の大変化、中間層の厚いひとコブ型から、真ん中がへこんだふたコブ型への格差社会では、有料コンテンツが大衆的支持を得るのは至難の技ではなかろうか。