IT企業社長室に鎮座する「神棚」が象徴するもの

知人から聞いた話によれば、我が国でのインターネット草分けとなったITベンチャー企業の社長室には「神棚」があるそうだ。
「神棚」というのは、家庭で神を祭る祭壇。田舎育ちのひとならおなじみ、神社の社殿をかたちどったミニチュアグッズである。
時代の最先端を走るIT企業と、時代遅れの伝統的文化の象徴ともいえる「神棚」との組み合わせは、一見するとミスマッチに思えるが、そうではない。
ネット業界では、テクノロジーや企業経営のすべてにおいて、想定外の現象が日常茶飯事であり、神頼みの心境になるのも無理はない。ネット業界だけではなく、コンシューマーという移り気な「神様」を命綱にしている企業の経営者にとって、「神棚」を飾って自社の繁栄を祈念するのは最低限の義務かも知れない。

イギリスの経済学者:アダム・スミスが『国富論』において、レッセフェール=自由競争によって「神の見えざる手」が働き、最大の繁栄がもたらされると主張したのは良く知られている。
個人個人が自分自身の利益のために「利己的」に行動することが、生産技術の革新や流通の合理化を促進し、結果として公共の利益Commonwealthが増進するという考え方は、中世封建主義から近代資本主義への革命を支える倫理的・宗教的な支柱でもあった。

インターネットは、本質的にユーザー主権型のメディアである。TVや新聞などの従来型マスメディアでは、情報の発信を国家や大手企業が事実上独占しているが、ネットでは万人に開放されている。情報の発信&受信を膨大な無名ネットユーザーが主導し支配している。レッセフェール=自由競争の結果は、リアルマーケットにおいてはもちろん、ネット=バーチャルマーケットにおいても神のみぞ知る。人知を超えた「神の手」に祈るしかないのではなかろうか。

アメリNASAの宇宙飛行士が、宇宙飛行の帰還後宣教師に転身するといった事例にも象徴されるように、近代科学と宗教の距離は意外に近いのかも知れない。